株式会社 Licht(リヒト)/CEO/市橋 要 氏
美容室は競争が激しく、開業後早々に姿を消すサロンも少なくない。しかし株式会社Licht(リヒト)が阿倍野区で営業する2店舗「switch HAIR(スイッチヘアー)」と「switch PLUS(スイッチプラス)」は、どちらも20年前後にわたり続いている。代表の市橋 要 氏は、日本とドイツで美容技術を学び、ドイツのサロンで数年間働いてから日本で開業した。その長年の歩みには、「くせ毛」の悩みを解決する独自のカット技術と、試行錯誤しながら培った経営力が息づいている。

日本人女性オーナーに憧れてドイツへ
阿倍野区で理美容室を営む両親のもと、末っ子長男として生まれ、美容師になることが当たり前として育った市橋氏。高校卒業後、美容専門学校で学んでいるとき、あるサロンオーナーの話を人づてに聞く。その人は日本人女性で、高校を出てすぐ単身ドイツに渡り、向こうの美容専門学校を主席で卒業。ドイツのヘアサロンで働いた後、そのまま現地で開業しているとのことだった。
まだ女性がそれほど社会進出していない時代に、ですよ。すごい人やなぁと興味を持って、専門学校の長期休みの間にドイツまで会いに行ったんです。僕はもともと、思い立ったらすぐ行動するタイプ。そのオーナーさんのサロンのヘアショーを見に行きました。ショーの後に話ができればと思って
ただ、そこでは思いがけない体験が待っていた。ショーモデルが何らかのアクシデントで足りなくなり、急きょ市橋氏に声がかかったのだ。
小柄なアジア人女性が僕のほうへゆっくりと歩いてきて、「日本人やんな?出て!」と。その人こそが目当てのオーナーさんだったんです。僕、180cmぐらい身長あったんで、あれよあれよとバックヤードへ。パパパパッとドイツ人のスタイリストに髪の毛を切られて、真っ赤な色にされて、言われるがままステージを歩きました
このとき市橋氏を高揚させたのは、“表舞台”以上に“裏舞台”の雰囲気だった。
バックヤードでね、外国人モデルが、衣装を着替えながらトップレスで談笑してたり、ゆったり足を組んで頭を触られてたりするわけですよ。テーブルの上にはケータリング。19歳の自分は、すげえ、この世界!!と魅入られてしまったんです。本気でここに入りたいなと
その勢いでショーの後、日本人女性オーナーに「ここで働きたい」と申し出るも、まだ日本で在学中の身。きちんと卒業してから来なさいと諭され、日本の美容師免許を取るには220日の実務経験も必要だったため、再びドイツに渡ったのは21歳の時だった。

「くせ毛は個性」という気づきをもって開業へ
現地のサロンで働くために、ドイツではまた一から美容学校へ。週2日、学校に通い、それ以外の日は件のオーナーの店で働くという生活を続けた。日本人オーナーの店とはいえ、すべてがドイツ流。日本ではアシスタントは「丁稚奉公」のような立場であるのに対し、ドイツでは関係がフラットで、アシスタントでもプロとしての意識を持って行動することが求められた。この経験は、今も市橋氏の考え方の土台となっている。
そして、一時帰国したことが重要な転機となった。
当時の日本は、くせ毛を真っすぐにする縮毛矯正ブーム。サラサラのストレートヘアこそ至上という感じで、すごく違和感があったんです。どの人も一緒に見えて、面白みがない、自己表現がないと感じました
市橋氏によると、世界の中で「直毛ではない」割合は約70%にものぼるという。くせ毛で当たり前と言えるほどなのに、日本ではネガティブに捉えられることが多い。学生なら「生まれつきでパーマではありません」という申告書を書かされたりもする。まるで、それが悪いことであるかのように。
「人類すべての髪はくせ毛である。その髪はすべて、大切な体の一部であり、個性である」。こうした考えが次第に市橋氏の中で固まり、多くの人に伝えたいという思いがふくらんできた。世界的なヘアスタイリスト、ヴィダル・サスーン(※1)のエピソードを知ったことも刺激になったという。
サスーンのエピソードで、不慮の事故で目をケガしてしまった女性のために作ったヘアスタイルがあるんです。それが驚くほど素敵で、傷を気にして閉じこもっていた彼女が、外に出るきっかけになった。つまり、彼はコンプレックスをその人だけの『魅力』に変えたんですよね。その話を知ったとき、本当に衝撃が走りました。自分も唯一無二の髪型を通じて、誰かの人生を変えるような仕事がしたい!と心から思ったんです
※1 ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon, 1928 - 2012)は、20世紀の美容界に最も大きな革命をもたらしたイギリス出身の伝説的ヘアスタイリストです。
くせ毛に悩む人が多い日本で、「髪を通して、これまでにない快適な毎日を提供する。自分の髪を好きになってもらえるように。」そんな使命感を抱いて帰国。3年間、大阪や東京のサロンで経験を積み、2002年に27歳で「switch HAIR」を開業した。ただし、はなから順風満帆とはいかなかった。

技術者であっても経営者ではなかったという失敗
最初は普通にやっていこうと思ったんです。ドイツ仕込みとか、くせ毛とか一切言わず。それで開業前にチラシを撒きました。捨てられないように、ご縁があるように5円玉を付けて。オープニングの半額キャンペーン中はめちゃくちゃお客さん来てくれたんですけど、グランドオープンしたらゼロ(笑)
それでも、子どもから大人までターゲットを絞らず、カットの技術をアピールしながら地道に取り組んでいると、少しずつリピート客が付いてきた。
ただ、そこにはスタッフが定着しないという大きな問題があった。
完全に僕の経験不足、認識不足でしたね。会って間もないスタッフに、自分と同じ感性を求めてしまっていた。どれだけ理想を描いても、まずスタッフの協力なくしては実現しないことに気づいていませんでした。技術者ではあっても経営者ではなかったんです。開業当時に採用したスタッフは、1年以内に全員退職してしまいました
それなら一人でもやってやる 半ば意地になって営業を続けているとき、思いがけない人からの進言によって市橋氏は目を覚ます。
ウチに出入りしていた美容ディーラーさんなんです。今でも、よくぞ言ってくださったと思うんですけどね。「市橋さん、どれだけおしゃれで、綺麗で大きな水槽でも、魚が1匹しかいないのは、カッコいいかもしれないけどやっぱり寂しいですよ」って。「だから、マネジメントを知ったほうがいいですよ」って
その言葉に頭を殴られた市橋氏は、猛然と勉強を始めた。経済や組織づくりについての書物を読み解くとともに、居酒屋から医療系のクリニックまで、さまざまな分野での「繁盛する秘訣」を探りに行った。店のメニュー作り、客への心配り、スタッフの回し方……。そこで分かったのは「どんな業種でも、人を喜ばせることに変わりはない」ということ。その後、入社してしてくれたスタッフとは、現場でのメモをもとに、PowerPointで資料をつくり、それをサロンのスタッフと共有するためにミーティングもきちんと行うようになった。
すると次第に活気が生まれ、スタッフの定着率が上がり、「もっとみんなに実務を経験してほしい」という思いから席数を増やすことを考えるように。


そして2007年、2店舗目の「switch PLUS」を出店した。
サロンの外でも、誰かを照らす「光」へ
現在は「switch PLUS」も開業20周年に向かい、すっかり地域に定着している。2つのサロンを支えるのは、何と言っても市橋氏がドイツ、日本などのあらゆるカットテクニックの研究を重ねて確立した「FUSE CUT(ヒューズカット)」という技術。FUSEは「融合」を表している。一人ひとりの頭質(毛流、毛量、毛質など)に応じ、3つのカットカテゴリーを組み合わせて行うカット技法で、実に786通りに及ぶ切り方がある。日本をはじめ、韓国や中国などアジア諸国の髪質に最大限の効果を発揮するという。


さらに、近年は新たな取り組みとして、自社オリジナルの「FUSE CUT PRODUCTS」も開発。トリートメントジェルやヘアミルクなど、髪のコンディションをより良くする商品を提案している。
また、市橋氏は社会貢献活動にも積極的だ。
実家の父がやっていたことを見習って、開業以来、天王寺区の知的障害・児童福祉施設で毎月初めの月曜日にボランティアカットを実施していたんです。コロナ以降、ちょっとお休みしているんですけどね。それと、これは個人的にですが、若年層のいじめ・自殺撲滅活動「piece project(ピースプロジェクト)」や、世界平和活動「mochi-2 motare-2(もちつもたれつ)」にも取り組んでいます。どちらも僕が名付けて商標登録もしているんですよ



サロンを運営する事業会社としての社名「Licht(リヒト)」は、ドイツ語で「光」であると同時に、「Love(愛)」「image(創造)」「challenge(挑戦)」「happiness(幸福)」「thanks(ありがとう)」の頭文字でもある。また、サロン名の「switch」は、光を届ける照明に関連し、気分や雰囲気を「変える」というニュアンスでも使われる言葉だ。自身やスタッフが大切にしている5つの言葉を胸に、今日も市橋氏は自らシザーを動かす(※2)。
「Licht」で灯る光は、今日も誰かの心を照らし、やがては世界を照らすに違いない。
※2 「シザーを動かす」とは、主に美容師や理容師が「シザー(ハサミ)」を使って髪をカットする一連の動作・技術を意味します。
