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“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?
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“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?

2026.08.24
不易糊工業株式会社

不易糊工業株式会社 / 代表取締役社長 鈴木勝也氏



子どもの頃に使ったでんぷんのり(※1)を、大人になって今度はハンドクリームとして手に取る。
そんな世代をまたぐつながりが不易糊工業の新しい事業を支えている。

(※1)でんぷんのり:トウモロコシやタピオカなどの植物からとれる「でんぷん」を主成分とした水溶性の接着剤。主原料が食品(でんぷん)と同じであるため、万が一、口に入れても安全性が高く、幼児にも安心して使える利点がある。

大阪府八尾市に本社を構える不易糊工業株式会社は、1886年創業の老舗メーカーだ。
でんぷんのりを原点に歩み、現在は『フエキくん』のブランドを生かした化粧品やライセンス事業にも力を入れている。

主力市場が縮小するなか、何を残し、何を変えるのか。
7代目社長 鈴木勝也氏の言葉から、140年企業がもう一度未来を耕していく姿を探る。

“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?


“懐かしい”が、新しい事業を連れてくる。『フエキくん』が広げる老舗メーカーの可能性


黄色い顔に赤い帽子、くるりとした丸い目。「どうぶつのり」の容器から生まれた犬のキャラクター『フエキくん』。原型となった商品は1975年の発売から半世紀にわたって親しまれてきた。


“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?


不易糊工業は、でんぷんのりをはじめとする接着剤を製造してきた会社だ。
2008年には、『フエキくん』を生かした化粧品とライセンス事業を開始。現在ではハンドクリームや文具、他社とのコラボ商品など、活躍の場を広げている。

ことし6月には、東京ビッグサイトで開かれたビジネス展示会「ライセンシング ジャパン」(※2)に初出展した。代表を務める鈴木氏は、期待とともに、不安も感じていたという。

(※2)「ライセンシング ジャパン」:日本最大のライセンス専門展示会。世界中のキャラクター、ブランド、アートなどのIP(知的財産)が一堂に会する国際商談展示会
大阪の会社なので、東京の方にどれくらい知っていただけているのか、正直分かりませんでした。ところが、ブースの前を通る方が「懐かしい」と言って足を止めてくださって。「知っていますよ!」という方が本当に多かったんです。あらためて『フエキくん』やでんぷんのりはうちの財産なんだと感じました。

会場では多数の名刺交換があり、新たなコラボレーションの相談も相次いだ。予想を上回る反響に、出展後社内の企画部門がその対応に追われた。

鈴木氏は『フエキくん』を商品とともに会社の歴史を歩んできた企業キャラクターと位置づける。
幼い頃にでんぷんのりを使った記憶があるからこそ、大人になった今も「懐かしい」と感じてもらえる……その積み重ねが、現在の化粧品やライセンス事業にもつながっていると考えているのだ。

“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?

でんぷんのりは、お子さんだけでなく、そのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで、三世代、四世代にわたって親しんでいただいてきた商品です。それぞれの世代に、子どもの頃に使った記憶が残っている。『フエキくん』とブランドの歴史は、当社にとってなくてはならないものですね。

でんぷんのりから化粧品へ…変わらない価値を未来へつなぐ


現在、化粧品やライセンス事業へと活躍の場を広げる不易糊工業。その背景には、主力商品であるでんぷんのりを取り巻く市場の変化がある。
高度成長期には大きな需要があった一方、少子化やペーパーレス化が進み、でんぷんのりの市場は年々縮小している。教育現場を取り巻く事情も変わった。
幼稚園や保育園でも、汚れる、服につく、口に入れてしまうといった理由から、のりを使った工作を取り入れにくくなっています。自分自身の手を使って、<切る・貼る・塗る>という経験は大切だと思うのですが、現実として、その機会はだんだん減ってきています。

鈴木氏は、市場の変化から目をそらさない。
でんぷんのりの市場が下がっているのは事実です。仕方がないことですし、現実はきちんと見なければいけません。

その変化に対応するため、不易糊工業が2008年から広げてきたのが化粧品事業だった。

でんぷんのりの容器を思わせる薬用クリームや『フエキくん』をパッケージにかたどったリップクリームなど、子どもの頃に商品を使っていた世代が、大人になってからも手に取れる商品を生み出したのだ。薬用クリームは同社を代表する商品となり、累計販売数は数百万個にのぼるという。
化粧品も、基本的には自社でつくっています。この建物の1階と隣の棟が化粧品工場になっているんですよ。

長く親しまれてきた容器とキャラクターは、化粧品でも受け入れられた。子ども向けのでんぷんのりから生まれた『フエキくん』が、大人の日常にも入り込んだことで、文具や雑貨、他社とのコラボ商品へと展開できる可能性も広がっていったのだ。

社名の「不易」には、「永遠に変わらない」という意味がある。
もともとは、品質の変わらないのりを表す名前として付けられたものだという。

永遠に変わらないものを大事にして、残すために変わり続ける。その精神でものづくりを続けています。
“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?

「誰よりも学び、仕組みにしてきた」異業種からスタートし、会社を背負うまで


現在45歳。不易糊工業を率いる鈴木氏の社会人生活は、同社とはまったく異なる業界から始まった。

長野県飯田市で高校までを過ごし、大学進学を機に東京へ。大学では応用化学を専攻した。卒業後は空調設備を扱う会社に入社し、新卒同期のなかで一人だけ大阪支店に配属された。そこで、メンテナンス営業や設計に携わった。

30歳を過ぎた頃、仕事を一通り経験したことで、その先の働き方を考えるようになった。

この仕事をあと何十年も続ける自分を想像したときに、モチベーションが上がらなくなってしまって。今の働き方に、なにか変化が必要だと思いました。

鈴木氏は転職サイトに登録し、複数の会社を検討し始めた。その選択肢の一つとして不易糊工業を勧めたのが、当時社長を務めていた妻の父・梶田安彦氏だった。

応用化学を学んだ鈴木氏に、「もう一度理系の道に進みたいのなら、うちの会社も候補に入れてはどうか」と声をかけたという。
社長になることが決まっていたわけではありません。ただ、今までと同じような会社員を続けていても成長が見えない。フエキでは経験できないことに挑戦できる可能性が充分あると思いました。

入社後に配属されたのは、生産技術課。最初の約二年間は排水設備の掃除を担った。新規事業を担当する役員のもとで雑用をしたり、部品や材料を車で届けたりすることもあった。

先代からは、「誰もやりたがらないことをまずやれ」と言われていました。給料も以前の会社より下がっていたのですが、社内では「どうせ俺より給料が高いんだろう」と直接言われたこともありました。ショックでしたね(笑)


当時の社長の義理の息子として入社した鈴木氏に、最初から信頼が寄せられていたわけではない。それでも任された仕事をこなし、社員とコミュニケーションを取り、少しずつ人間関係を築いていった。

その後は、生産管理など、製造部門の中枢へと仕事の幅を広げ、製造部長や工場長にあたる役割も担うようになる。そんな鈴木氏が「この会社を自分が背負っていこう」と考え始めたのは、代表取締役専務になった頃だった。

先代から社長になる時期を示されたことは、一度もありませんでしたね。専務になった頃から、このままの仕組みではいけない、この会社を残していくためには、もっと大きく物事を変える必要があると考えるようになって。


やがて鈴木氏は、会社の進む方向や自分が変えたいことについて、当時の社長と話し合うようになる。そうし中で経営を任され、入社から十年余りを経て社長に就任した。

この十数年でいえば、どの社員よりも働いた自負があります。知らないことは誰よりも学びに行き、調べ、それを形にして、仕組みにしてきました。そこには自信がありますね。

“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?

もう一度、畑を耕す。140年企業を次の世代へ渡すために!


社長就任後、鈴木氏が進めてきたのは、フエキというブランドを自分たちの手で育てる体制づくりだった。
それまで外部に任せていたライセンス商品の監修を自社に戻し、広告宣伝や展示会への出展にも主体的に取り組むようにした。長く親しまれてきたブランドを、依頼された商品に貸し出すだけでなく、自社の事業として育てていくためだ。

ブランドを育てるためには、社員との目標共有も欠かせない。
鈴木氏が社員に伝えようとしているのは、140年の歴史を守ることだけではない。長年培ってきた品質への信頼が、その先の事業へ進む土台になることだ。
うちには、ブランドの蓄積と、安心・安全への信頼があります。だからこそ、まだ行ける場所がある。その可能性を示すのは、僕の役割だと思っています。

鈴木氏は、世代をまたいで商品を届け、人のライフサイクルに寄り添う会社を目指している。
子どもの頃にでんぷんのりを使った人が、大人になって化粧品を手に取る。やがてその人の子どもや孫にも使ってもらう。そんなふうに、人生のサイクルの中で、いつもそばにいると思ってもらえる会社にしたいんです。


事業の広がりは、世代だけでなく地域にも及ぶ。
中国では現地の販売代理店を通じて化粧品やライセンス商品を展開し、韓国や台湾、香港でも商談が進んでいる。
中国では、現地の代理店に化粧品やライセンス商品を展示会に出してもらっていて、僕も実際に見に行きました。日本のキャラクターやライセンス商品への関心は、本当に高いんです。

国内の展示会でも想像以上の反響があったように、国内でも海外でも、フエキはまだまだ化けると思いますよ。


140年の歴史を持つ不易糊工業を、鈴木氏は「まだまだ発展途上」だと捉えている。

会社は、続けてなんぼだと思っています。ライセンス事業も、まだこれから育てていく段階。
一度休眠した畑を、もう一度耕すような気持ちで、うちがどんな会社なのかをあらためて知ってもらう。そこに種を植え、芽を出し、大きな花を咲かせたいと思っています。


“懐かしい”を未来の力に!『フエキくん』と歩む140年企業 7代目社長の挑戦とは?



不易糊工業株式会社
本社:大阪府八尾市竹渕東2丁目62番地
オフィシャルサイト:https://www.fueki.co.jp/